I (わたし)

 


「金鳥島が落ちて以来、少し変わったのぅ」
 呟く太公望の瞳は、午後の日差しが差し込む窓辺に向けられていた。
 小会議室は一階にあり、窓の向こうで訓練を行う兵士たちが見える。皆、一様に槍を持って整列していた。横並びになった兵士たちに向き合うのは、体躯のよい大柄の男たちで、その中でもっとも体格が良い男が、この兵軍をまとめあげる将軍だ。傍らには、蒼髪の青年が背筋を伸ばして佇んでいた。
 会議を終えた後も、書簡の片付けで部屋に残っていた周公旦は、か細い呟きを聞き逃しはしなかった。
 体を引き戻し、抱えた書簡をずり降ろして、太公望の視線の先へと目を飛ばす。
「彼が何か? 近頃の仕事ぶりは、以前よりずいぶんと磨きがかかったように感じますが。もともと、立派に一人分以上のお力を発揮されてたんですけどね」
「そのことに関しては、喜ばしいのじゃがなぁ」
「気がかりでも?」
 書簡を机に降ろそうとしたのを見て、太公望は苦笑交じりに頭を振った。
「すまんのう。大した話ではないんじゃよ。気にせんでくれ」
「そうですか」
 周公旦は書簡を抱えなおした。
 そのまま出て行こうとした足が、扉から片足を出したところで、ピタリと止まる。
「太公望殿……」
 肩越しに振り返る周公旦は、いっていいものかどうか、迷っているようだった。
「私の思うところでは、楊ゼンさんの雰囲気が変わったのは、仙人たちの戦争の後からですよ。前よりも柔らかく、穏やかになりましたが、時折りとても酷薄な顔をしていらっしゃる」
「お主もそう思うか」
 顎に指をかけ、慎重な素振りで小さく頷く。
 周公旦を見ずに、太公望は意地の悪い笑みを浮かべた。
「先も言うてみぃ。わしに遠慮はいらんぞ」
「……では。貴方に関することとなると、楊ゼン殿はそうした顔をなさいますね」
「かかかかかかかっ。あやつ、皆に気づかれていると分かった上であの態度をとっておるのだろうな!」
 ひとしきり笑った後で、太公望はまじめな顔をした。
「新手の嫌がらせかのぅ。あやつと揉めた覚えは、ないのだが」
「先の仙人たちの戦については、私は詳しく知らないので何ともいえませんが、公務に支障葉でないようにしてくださいよ」
「わかっておるよ」
 周公旦を見送り、部屋には道士一人のみが残される。
 眼差しは、再び窓の外へと向けられた。一瞬だけ、視線が交差したように感じた。しかし、彼がすぐに視線をずらしたので、気のせいだったらしい。太公望は、気だるげに息をついた。

 

つづく.
(→ i と I (愛とわたし)

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