紙の飛行機
ビニール製の機体だ。
強く掴むと、指がめりこむ。少年のガラス玉のような瞳は、ほぼ無感情でそのさまを見守った。ゆっくりと片腕を肩より高い位置まで持ち上げて、水平に機体を泳がせていく。
ぶうん、と、唄うように唇が丸くなった。
少年の周囲では、3人の大人が慌しく歩き回っていた。
「夜神月は必ず潜んでいる。ノートのない彼は恐れるに足りないが油断はするな!」
「早くするのよ。外にでられたら厄介だわ」
ビニール製の飛行機を床に不時着させた。
同時に顔をあげて、実につまらなさそうに呟いてみせる。
「それは有り得ません。この場所は初めて訪れる者には迷宮でしょうね。夜神月といえども監視カメラを潜りぬけることはできない。……いずれ、必ず監視カメラに映ります。それを待つだけです」
「ニア……」
少年の三倍は体積があろうかという、金髪の大男が乾いた声で呼びかける。ニア、と、呼ばれた彼は銀髪に軽く触れた。反対の手で飛行機を持ったままで立ち上がる。
「私は先ほどの麻薬取引きの件で一週間ほど寝ていません。これで、さらに夜神月如きに手を煩わされたくない。失礼しますよ、あとは任せました」
「ああ。わかった」
「お疲れさま。でも、ニア。夜神月が潜んでいる可能性もあるから気をつけてね」
言いながら、美女はモニターへと視線を戻す。
ニアは瞳だけで頷いて、司令室がわりにしている地下室を後にした。
遺産を使って建設した新たな隠れ家は、超高層ビルという形式を取っている。白い廊下を通り抜けて、ニアはエレベーターの前にたった。最上階から、一つ下の階を押す。視線を手にしていたビニール製の飛行機へと落とした。再び、先ほどと同じように空中を泳がせてみる。しかし、今度は不時着させることなく、自分の背中に向けて投げつけた。
がしゃんっ。壁に当たった飛行機は無残に先端から墜落した。
「でてきなさい、夜神月」
「バレていたのか」
いささか驚いたようにして、月が目を見張る。
廊下の一角から顔だけをだして、青年は慎重にあたりを見回した。
「私だけです。しかし、実にあなたらしい。私か、誰か、人質を手にする気でいましたね?」
「そうだ。……おまえらは何度言ったらわかるんだよ。僕はキラじゃない……、外にだしてくれ。母さんは? さゆは? 父さんが死んだっていうのに、僕だけここにいるわけには」
「ウソをつくのはやめなさい。キラにそんな感傷は必要ないでしょう」
「なにを……! だから、僕にそんな記憶は無いといっている!」
人気がないのを確認して、月が姿を現した。
全身が黒尽くめ、やせ細った体、頬はコケていて以前の彼を知るものならば驚愕に値する姿だ。だが、ニアには見慣れたものだ。彼は、月の足元に落ちた飛行機を見つめた。
見つめながら、懐からノートの切れ端を取りだす。
「これはただのキャンパスノートの切れ端です」
「ああ。そうとしか見えないな」
「ですが、あなたはこれと同じようなものを使って大量殺人を行った。これが事実。おまえがキラだ。長きに渡った監禁に屈服し、キラはノートを放棄した。だから、記憶がなくなった」
「…………」
月の眼差しが険しさを増す。
「殺人の事実は変わらず夜神月がキラだった事実も変わらない。……月、おまえは一生ここに監禁だ」
ニアは寒寒とした眼差しを返しつつエスカレーターを振り返った。最下層まで辿り付いて、扉が大きく開いている。その扉を片手で抑えながら、月を振り返った。無表情に近い。
「私を捕まえるなんて考えないことですね。これでも一通りの格闘技は扱える」
「ニア……。せめて、母さんたちに僕の無事だけでも」
「ダメです。それが最もダメだ。あなたは死んだ人間です、月」
下唇を噛む、その月のしぐさをじぃっと見つめつつ、ニアはエレベーターの扉に背中を預けた。両手が素早くうごく。キャンパスノートの切れ端を折り畳み、また折り畳み、折り目をつけながら――紙飛行機を作りあげる。
「月、あなたには十階から十五階までしか出歩く権限を与えていない。今、この場にいて私と会話をするこの行為は懲罰モノ。受ける覚悟はありますね。受けてもらいます」
月の瞳に、黒っぽい煌めきが灯る。
ニアは平然としていた。紙飛行機を投げるような素振りを繰り返す。さいごには、月を紙飛行機を向けたまま動かなくなった。観察するような、検分するような、ニアの瞳には感情の一切が見えない。
やがて、少年は腕を振った。
標的とされた月は、憎憎しげにニアを睨み返しつつ、足元のビニール製の飛行機を取り上げた。
「僕は、このままじゃ終わらないぞ」
そう言って月はニアに歩み寄る。
少年は視線を持ち上げる。月を睨むように眉を引き寄せる。
「私の部屋に……。行けば、手錠があります」
「どういう意味だ」
「今のあなたは拘束してしまえば恐ろしいところなど一つもない。手錠をつけさせていただければ、私が目覚めるまでは懲罰を延長してあげてもいいです」
「……どういう意味だ?」
ニュアンスを変えて、月が当惑したように目を丸める。薄くため息をついた。青年の胸へと紙飛行機を飛ばして、ニアは自らの頭をグシャグシャと片手で掻き毟る。
「まったく。そりゃ、あなたはね。毎日することもなくてグッスリでしょうが私はそうもいかないです。世界のLですからね。冗談じゃないです、また身内からトラブルが起きるとか」
「身内?」
月が驚いたようにニアを見る。
一瞬だけ、ニアは動きを止めた。思考するかのような沈黙だ。数秒後、ニアは厳かに訂正した。
「言葉のあやです。うちに居候している大量殺人犯のために睡眠時間を無駄にしたくないと言っています。さあ、部屋に招待してあげますから、ハナシは起きてからにしましょう。そうしたら月への懲罰を考えます」
「…………」月は、再び足元に落ちた飛行機を拾い上げた。そうしながらまじまじとニアを見つめる。注意深く注目してみると、無表情に限りなく近いが、トロンとしているように見える……。かも、しれない。
「おまえ、そのうちLみたいに目の下にでっかいクマが?」
「……それがイヤだから私は寝るんです。私をLと比べるならあなたの待遇を今よりもっと酷くします。文句はゆるしません。さあ、きて。月」
自室がある階層を押しながらニアが刺すように告げる。
「半分寝てる今の私にでも、あなたは勝てませんよ」
少々考えた末に、月は反論した。結局、ニアが投げてきた飛行機を手に持っていた。ビニール製と、キャンパスノートの端切れでできた紙飛行機。
「僕をキラだといいながら、いいのか」
「月も馬鹿じゃないでしょう。私に危害を加える意思をまだお持ちで?」
「…………。お前な、きみの飛行機運んでやってるぞ、僕は」
「……それはどうも」
ニアは、月が抱えるふたつの飛行機を睨みつけた。
end.
( → 子守唄が聞こえる )
** もどる
|