子守唄が聞こえる
サイコロを手のひらで鷲津噛んだまま、ニアはトイレから戻ってきた。
出て行ったときも左手にサイコロを掴んでいた。戻ってきた時も。サイコロには丁寧に洗われたあとがある。用を足すついでに、その四角い透明な物体も洗浄した。
少年は改めたようにモニターと向き合った。
獣のような眼光が灯る。片膝を立てたまま、注意深く告げた。
「全ての監視カメラをB面に映してください。私が合図をだしたら、突入を。一秒の時間差もダメです」
「わかった」
いささか無謀な最後の命令には誰も不平を唱えない。
暗く拾い部屋の一室で、彼らは息を飲んでモニターを見守った。正確には、ニア以外のものがニアの合図を待って静まりかえっている。少年はまばたきすらせず、立てた顎に膝を乗せてBと書かれた札のモニターをいっせいに見つめていた。その数、ざっと五十。少年のガラス玉の瞳に電光の輝きが点滅する。
「…………」
ヂャラ、と、ニアは手のひらの中でサイコロを握り揉んだ。
零れだした一つが転がり、モニターへと歩み寄る。ナイフを突きつけられた少女はカメラに縋り付いていた。そのナナメ上では突入のチャンスを窺う警察隊。少女の父親は有力な政治家だ。大統領候補とすら目されている。父親から、なんとしてでも娘を助けてほしいと依頼を受けたのは二時間前だった。
(いつまでも先代のLの遺産を食いはしない)
ニアが転がったサイコロへと指を伸ばす。
(私の仕事を知れ、世にはびこるウジ虫)
その眼球は五十個ものモニターを注視している。
どこをどのタイミングで見ているのかはわからない。ただ、ニアはモニターの群れを見上げていた。複数もの音声が辺りをにぎやかすが、少年は動じることもなくサイコロを拾い上げた。他のサイコロを置いて、拾ったものをもう片手の親指――そのツメの上へと乗せる。
サイコロを鼻先に持ってきたところで、ニアは透かし見るかのように目を細めた。彼を見守る一同が、緊張に息を呑む。間髪いれずにニアが叫んだ。
「今!」
ピンッ。
弾かれたサイコロが、左上の44番の札がついたモニターを打つ。
その場にいた者が一斉に動いた。激しい喧騒があたりに飛び交った。
『ああっ?! 見てください、みなさん! あれは――警官ではありません! 私設警備隊のような――』
『犯人逮捕!! 人質から目を離し、警官隊を見上げた一瞬のあいだに――』
『信じられないことが起こりました。事件は急転――!』
「娘を確保したら撤収しろ。事態の収束には」
「自分が手を回します。ニア、でます!」
ニアは振り返らなかった。
ただ、唇を尖らせて傍らの大男を見上げる。彼は眉根をひしゃげさせた。
「ああ。すまない、あとは任せてくれ」
「……Lの仕業だと世間には公表してくださって構いません」
「わかった。ニア、お疲れさま。急な仕事だったが、よかったのか?」
「はい。簡単な仕事でしたし」
さらりといいのけて、ニアは自らの銀髪をつまんだ。
覚束ない足取りで立ち上がる。
「部屋に戻ります。もう、今日に動くことはなにもないでしょう」
「……わかった。しかし、ニア。ひとついいか?」
そのまま放置されたサイコロを見下ろし、男は眉根を寄せた。
「キラは部屋から出した方がいいんじゃないか」
「…………」
先日、廊下で確保されたキラはいまだニアの部屋にいる。
ニアはかすかに首を傾げ、再び自らの髪をつまんだ。神経質ともいえるほど、何度も何度も梳く行為を繰り返す。そうしながら、唇が開く。
「どちらにしろ彼の管理は私の仕事のうちです。大丈夫です。……殺しはしないです」
「私が言っているのは、ニアの安全だ――」
「そうなんですか? それなら、なおさら大丈夫です」
両目を一度だけ閉じて、ニアは踵を返した。
髪を梳く仕草はやめない。そのままエレベーターに乗り、自らの寝室がある階層まで辿りつく。ひとつのフロアが丸ごとニアの私室だったが、彼は最奥の部屋へと直行した。その扉に入ると、また鍵付きの扉がある。指紋の承認で開くタイプだ、ニアはその奥へと進んだ。
入ると同時に、パチリと蛍光灯の明かりを灯した。
「お久しぶりですね」
「…………っ」
何かが這いずるような音。
室内には無数のオモチャが転がっていた。人形、プラモデル、ラジコン、ビニールプール(ただし水は張られていない)、サイコロは山とつまれているし、ボードゲームやカードゲームの類も箱ごと転がっている。
「ここは私の特に気に入ったオモチャが置いてある部屋です。プレイルームと私は呼びますが。居心地はどうですか」
ずる、ずる、ニアの足元に這いずろうとした者は、途中で箱菓子の山を崩した。瞬く間に倒壊したそれらを無感情に見つめつつ、しかしニアはひとつの箱をひろう。
そして、中を開けて小さな指人形を取り出した。
気軽に、自らの一指し指につけてみせる。その人形は夜神月に向かってペコリとお辞儀をした。
「悪くはないようですね。幸いです」
月は両手両足に手錠を嵌められ、猿轡を噛まされたままで床に転がっていた。
むー、むー! 非難をこめた呼び声が響く。当然のごとく、ニアは無視をした。四隅に積み上げられたダンボールの中から、黒いケースをとりだして広げる。床に並べられたファイルが、すべてニアに届いた依頼書だった。
「私にとって遊び場は仕事場です。昔からそうだった。このプレイルームが、つまり書斎」
淡々と告げつつ、ファイルを十個ほど並べる。
「むう…………ッ」
月はニアの傍らまでなんとか這い寄った。
しゃがみ込んだ少年に向けて頭突きを繰りだす。不自然な体勢から、無理に繰り出したそれには威力が無い。ニアは眼球だけを月へと向けた。
「邪魔をしないでください」
むぐー!
もがもがと全身を蠢かせる青年に、ニアは僅かに目を細めた。
指人形が、そっと延びる。そうして月の猿轡となっている皮紐をひっかけ、下へとずりおろした。咽た後で、月が歯茎をむき出す。
「な、なにするんだよお前は! 酷いじゃないかっっ」
「さて。夜神月、――キラと呼ぶべきですか?」
「僕はキラじゃない……だったかも、しれない……、でも今の僕は夜神月だ! 母さんたちと連絡をとらせろ!」
「却下です」
指人形を引っこ抜いて、ニアはつまらなさそうに片膝をたてた。
「邪魔をするな、と、私は告げたつもりですがあなたにその意思はなさそうだ。その頭脳を貸して、私に面白そうな仕事を報告してみる気はありますか。この膨大なファイルの選別です、つまるところ」
「お前が自分で見れば必要ないだろ?!」
「そうですね。その通りです」
淡々とした声だ。
言葉遊びのような会話であっても、その表情が崩れることはない。能面のような面持ちのまま、ニアは指人形の入っていた箱を拾った。中にはオマケの菓子がまだ入っている。
小さな、板チョコレートだ。片手で包装紙を向いて、ニアは歯でチョコを挟んだ。
「じゃあ、黙っていてもらいましょうか。残念ですね。私がここにいるときくらいは、話す自由を与えようかと思ったんですが……」
「ぐっ?! や、やめろ。いやだっ」
革紐を突きつけられて、月が怯む。
屈辱に顔をゆがめたまま青年はうめいた。
「クソッ。うるさくしなければいいんだろ! なあ、水とかないのか? お前がいないあいだ、何も食べてない――」
「それはうるさくするのと同義です」
毒を含ませつつ、ニアは扉の近くを指差した。
「そこの箱の中にペットボトルと簡単な固形食があります。口でも開けられると思いますから、取ってきてください。休憩がてらに食べさせてあげてもいいですよ」
人形遊びでもするかのような気楽な言い分だ。
数秒、月は絶句する。
「いやなら、また口を封じるだけです。ここから仕事を持ち出したら、モノによっては数週間も私は戻ってこないことをお忘れなく」
「ふ、ふざけてるのか? そんなの、僕は死んじゃうだろ……?!」
「人を寄越します。彼にエサをねだればいい」
ファイルの一つを手にとって、ニア。
月はぐっと堪えるように双眸を険しくさせた。
「おまえ……。性格が捻じ曲がってるな……!」
「どうとでも。持ってくるなら早くしてください、夜神月。私は文字を追うのも早いですから」
ファイルの中身を辺りに散らばらせて、ニアは手ごろなオモチャを手に取った。日本製のプラモデルだ、人型のロボットで、ホワイトカラーに鮮やかな赤が走った機体をしている。
片腕でプラモデルを空中に泳がせる。
そうしながら、もう片腕が猛スピードで書類をめくっていた。
「し、信じられないな、ほんとうに」
うめきつつも、先ほどニアが示した場所に向けて月が這いずっていく。
その音色をすぐに聞きつけて、ニアは一度だけ眼球を上向けて月の背中を追いかけた。ずる、ずる、と、這いずる音とボヤくような月の呻き声。昔――、メロたちとともに居たときにも、ニアは遊ぶときは一人だった。ひとりでパズルを完成させては怖し、サイコロで砦を作っては壊した。
「…………夜神月、おまえの身柄はこのニアが預かっている」
「? ――みたいだな。なんだよ、改まって」
「いいえ。べつに」
ロボットを目で追う。
すぐに、また手元へと視線をおろした。全ての依頼がコンピューターで閲覧できれば楽だと、何度も思っていたはずのことが不思議と脳裏に浮かばない。
「変なやつ……、クソッ……、遠いな……」
月が何事かうめきながら、ずるずる這い進んでいる。
その音色に、ニアは僅かながらも目を細めた。
ずる、ずる、まだワイミーズがいかなる意味を持った場所すらもわからなかったころ、今はいないメロとも仲がよかったころ、ニアはよく迷子になって屋敷のなかを歩き回った。
ずるずる。引きずりつづける人形が、音をたてる。
その音色が人形の声に聞こえた。ひとりは寂しくない。彼らからの声は、耳を澄ませば、聞き取ることができる。ニアはひとりで遊ぶのが好きな子供だった。
「子守唄、ですか……」
「おいっ。箱製じゃないか。こんなの、口じゃ開けられない――」
「もってきたら私が開けてあげます」
のうのうと言い放たれて、月は再び絶句する。
年の離れた青年で、並外れた頭脳を持ちながら道を踏み外した大量殺人者。頭のなかで警告しつつ――自らに――、ニアはずるずると這う音色を聞いた。
(子守唄が聞こえる)
世間から隔離されることが自らの義務だ。
今は、この殺人者も同様の義務を負うべきであることをニアは知っていた。ニアが知る大人はすべて仕事のつながりがあるもの。仕事が終われば、つながりが途切れれば会わなくなる。
キラを死ぬまで監禁する。キラの記憶をなくした月はただの夜神月だ。
しかし、キラなので死ぬまで監禁する。
……微妙に、意味が無く、中途半端な存在の夜神月をニアはそれほど嫌いではない。ニアの見知った大人たちの中で、月だけが異質な存在だった。
「……………………」
差し出された固形食を袋からだし、月に差し出し返しつつ、もう一方の手で髪の毛をつまんだ。
オモチャではない生身のヒトが、仕事のつきあいでもなく共に在る。それも、恐らく互いの一生が終わるくらいの期間を。――その相手はキラ。生涯、ひとりで生きると早くから決めていたニアには、月は異質だ。とことん。
end.
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