自覚と、恋

 


 歩くたびに豊満な双丘が揺れ動き、腰がくねりくねりと蠱惑的に左右に触れる。
 皆の視線は細長い美女に釘付けである。
 上向いた形の良い鼻と、ふっくらして柔らかな赤い唇。大きな瞳には、幾千もの星が散りばめられているようで、キラキラした光が灯っていた。女は、宴会場の中心部で足を止めた。右足を少しだけ前に出して太腿を誇示し、背中を反らせて胸を張る。服装も過激なもので、胸や尻といった局部を隠してはいるが、二の腕や腿、首筋は、大胆に空気と触れさせている。微笑を称えたまま辺りを見回せば、鼻の下を伸ばした官僚や兵士、武王までもが、食い入るような視線を注いでいる。
 円形の建物なので、くるりと身体を一回転させれば、全てを見渡すことができた。
(掴みはオッケーだな)
 内心でほくそえみ、美女は、両腕を振り上げた。
「妲妃よぉ〜〜んっっ♪」
 腕に巻きついた細長いシルクが、はたはたと揺れ動く。
 艶やかな髪が動くさまと相成り、まるで、
「雲がゆったり流れてくみてぇ」
 最前列を勝ち取った武王が、うっとりと囁いた。
「あらん。武王ちゃあん。どう? 飲んでる?」
「おーよ! プリンちゃんもどうだっ?!」
「きゃン☆ 嬉しいっ。妲妃、お酒だぁいすきなのン!」
 くねっ、くねっ、と言葉が区切る度に腰が左右に振れ動く。離れた円卓で彼らを見つめていた太公望は、呆れたため息をついた。
「ようやるわ」
 傍らの周公旦が、同じニュアンスの頷きを返した。
「今日はわらわのためにありがとう。とってもハッピーだわ!」
 巻き起こった拍手を受けて、妲妃は腰を捻り、胸を強調してからウインクをしてみせた。
「でも時間だわ。選手交代と行くわネん。バァイ♪」
 とぼけた顔をしてみせて、手を振る。
 ヴヴ、と、空間が密かな音を立てて軋み、美女の影が掻き消えた。
 ――代わって現れたのは、髪の長い仙女だった。
「おお?! 憧れの竜吉公主さまじゃねえか!」
 武王の隣で目を輝かせていた土侯孫が、黄色い悲鳴をあげた。
「いかにも。……はは、そう固くなるではない」
 穏やかな瞳が、萎縮ぎみの兵士たちを見渡した。
 妲妃に勝るとも劣らぬ美貌の女である。幸運にも目が合った数人は、指先がひくりと痙攣した。
 燐とした竜吉公主の周囲には、本物と同じような水滴は浮遊していない。ただ一人で構える仙女を見るのは、太公望も初めてだった。
「ほう」頬杖をつきながらも、視線は仙女をまっすぐ捉えている。
「我が名は竜吉公主。普段は人間界に降りんのでな。姿を見るものも初めてであろう」
「楊ゼン! おい、よーぜん!」
「……竜吉公主と呼べ」
 顔を顰める仙女に構わず、土侯孫は派手に机を叩いている。
「妲妃みてぇなセクシーポーズやれよ! 見てぇ!」
「わらわには出来ん」
 プイと顔を逸らした竜吉公主は、太公望が神妙な顔をして自分を見つめていることに気が付いた。
 何かを恐れているような、期待しているような、判断しがたい目つきをしている。美女に化けたままの顔を崩さずに、楊ゼンは内心でいぶかしんだ。土侯孫が催促の悲鳴をあげる。
 とある考えに思い至り、楊ゼン――竜吉公主は、地モグラみたいな男に向き直った。
「仕方がないのう。特別だ」
 ロングスカートの端を持ち上げ、チラリとめくってみせる。
 武王と土高孫は、揃って身を乗り出した。反応を確認して、にやりと妖艶な笑みを浮かべた仙女は、めくったまま、どんどんとスカートを握る手のひらを持ち上げていった。膝が露になり、太腿が露になる。
「おおおおおお!!!」
 興奮した叫び声を受け止めながら、竜吉公主は、ますます口角を引き上げた。
 真前には、太公望が立っていた。
「ウォっほん」
 白々しく息をついて、人差し指を天に向ける。
 いきなり顔を出した軍師に驚き、歓声も泣き止んでいる。
 楊ゼンは胸の鼓動を隠すかのように、先に話を切り出した。
「太公望どの、なにか?」
「いやのう。天才クンは、演技に命をかけているのではないかと思ってのう」
 仙女は、ニコリとした微笑を崩さない。
「スタンスに反するのではないか?」
 対する軍師も引いていない。
 無言の圧力を放つ楊ゼンに動じることなく、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「お主がそのような奴とは思わなんだぞ」
 静かに太公望を見つめた瞳は、ヴンと空間ごと歪んだ。ああっ、と、武王たちが悲鳴をあげる。竜吉公主の姿はなく、蒼い髪の道士が太公望と向き合っていた。
「僕も気が変わる時があるんですよ。何かを試したい時とかね」
「ほお?」
 半眼になりながらも、一応、聞き返す。
 楊ゼンは意味ありげに微笑み、武王たちに向き直った。またも、姿が揺らぐ。
「おにーさんたちには、またわらわがお相手してあげるわんっ」
「おおおおお〜〜っ!!」
「ウフフ♪ リクエストがあったらどんどん言ってねン」
 腰をくねらせながら、太公望の脇を通り過ぎる。
 せつなに視線が合い、軍師が肩をこわばらせたのと、妲妃が耳に言葉を吹き込んだのは同時だった。
「知らなかったわン☆ 太公望ちゃんたら、あんなカタブツ女が好みだったのぉ」
「なっ、何を!」
「道理でわらわに落ちない筈ねン」
 ヒールを鳴らし、腰をくねっ。その度に沸き起こる歓声に、太公望の抗議はたやすく飲まれてしまった。妲妃に変化した楊ゼンも、振り向こうとしない。太公望は歯噛みをした。
「不覚じゃ」 やがて、肩を落として吐き捨てたという。

 

end.

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