神無月
「…………」
ワインを傾けながら見るもみじは、なるほど、綺麗である。
この現象を紅葉というのは、理屈的には昔から知っていた。
しかし意識したことはない。それは、本当の意味で知っていることにならないだろうが、見てみたいと思ったこともなかった。朽ちかけた葉のひとかけなど、俺にはまったく必要がなかった。
故郷の秋が好きだった、と語る少年とのやり取りが鮮明に思い起こされる。
書斎から持ち出した本を読みながら、彼は呟いた。
『秋、好きだな』
『なんだ唐突に。ニブルイヘイムに季節はないぞ』
『そうなんだよなぁ。俺の故郷は、この時期だと綺麗なもみじが見れたんだけど』
『ホームシックか? 故郷には戻らないと豪語しているくせに』
少年は跋が悪そうな顔をした。底意地の悪さは、こういう時に現れ出る。
俺は明日からのミッションに備えて行っていた武器の手入れを止めて、ベッドの上に腰掛けたまま腕を組んだ。さらなる追い討ちがくると感じたのだろう、少年の体が強張る。にやり、と唇が吊り上った。
『もみじが何だ。色が変色するだけではないか。それも、腐るがゆえの変色だぞ』
『そういうこと、言うなよ……』
気弱に囁いた少年は、納得がいかない顔のままで本を閉じた。
『事実だ』
寝そべる少年の襟首を摘み上げ、ベッドに放る。
抵抗はなかった。驚いた顔をしながらも、騒ぎ立てずに体を硬くしている。それ以上、言葉をかける気にもなれずに、開いた唇に舌を差し入れた。会話らしい会話はなかった。
朝、ベッドを出るまでは。
『ニブルヘイムの近くなんだよな?』
一瞬なんのことかと眉を顰めるが、すぐに、ミッションの行き先のことかと合点する。
『よければ、もみじを取ってきてよ……。無性に見たくなった』
『腐りかけた葉を眺めて、楽しいと思うものなのか。俺には、よくわからんな』
一言で切り捨てると、少年は文句を言わないまでも、悲しそうに俯いた。
俺は翌日にはニブルヘイムに帰還する。ミッションを終え、臨時に張られたテントの脇で勝利の酒を口にしていた。わざわざ生ぬるい風に当たっているのは、眼前に広がる色とりどりの樹が、何故に少年の固執を勝ち取れているのかを見定めるためだ。
「酒の肴に良いな」
改めて眺めると、美しいと感じた。
風が吹くたびに零れ落ちるもみじは、花びらのようである。
視線を下にずらすと、千切り取った一枚のもみじが、はたはたと風に揺れている。赤色と橙色の混じった、十センチほどの小さなものだ。尖った金髪頭が、もみじの先端に重なった。
「……ふん。たまには、玩具におもちゃを与えてやるさ」
もみじの裏は、表とはまた違った色合いを魅せている。
表、裏、と繰り返し反転させながら、最後の一滴までワインを喉に流し込んだ。
ニブルヘイムに戻り、全ての事務を終わらせてから自宅に戻ると、少年はそこにいた。
この頃はミッションが終わる時期を見計らい、勝手にやってくるようになっていた。合鍵をやった段階で承知していたので、いまさら咎める気はない。少年は、玄関で分厚い参考書を読んでいた。
「おかえり」
開いたままの本を横に置き、遠慮がちに微笑む。
窺うような眼差しにもなれた。こいつは、俺の機嫌がいいようなら居座り、悪いようなら出て行くつもりなのだ。頷くだけの俺は、機嫌が悪いように見えたらしい。少年は、本を閉じて腰をあげた。
「ご飯は作ってあるから。じゃあ、もう行く――」
「待て」
腕を掴むと、少年は目を見開いた。
「きさまが願ったのだろう?」
皮肉げに微笑み、胸の前でもみじをチラつかせる。
少年の瞳が、それを追って左右に揺れた。
「ほ、本当に取って来てくれたの」
「悪いか」
慌てたように頭を振る金髪に、もみじを差し出す。
いささか震えながら、両手にもみじが包み込まれた。
「ありがとう。俺、なんて言っていいのか」
「礼を言われるほどのことではないな」
横をすり抜けると、またもや少年の気配が揺らいだ。焦った声が、背中に飛びつく。
「やっぱり、まだここにいる。いいかっ?」
肩越しに眺めたそいつの顔は、可笑しいほどに綻んでいた。視線を合わせることが、なぜだか心苦しいことに思える。すぐさまリビングへと顔を戻しながら言い捨てた言葉は、必要以上に刺があった。
普段の少年なら、萎縮して部屋を飛び出てしまうような声音だ。が、少年は、喜んだ返事を返した。
「好きにしろ」
「ああっ」
思わず再び振り返る。
瞳に、きらきらした光が宿っていた。
生きているものの輝き。
まぶしさに目を細めた。
綺麗だと誰かが、――まさか俺だとは思えないのだが、誰かが呟くのが、聞こえた。
end.
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