くらがりによせて
上半身を起こしたクラウドは、向かいに寝そべる影を見つけて大きく瞬きをした。
頭を掻いてあたりを見回す。木々がうっそうと茂っている。薄い毛布をとって、立ち上がり、周囲で寝静まる二頭のチョコボを確認した。クラウドは、音をたてずに木々の深いほうへと歩んでいった。
手には太い剣が握られている。彼のひとみには確かな意図が秘められていた。
歩きつづけた先には、小さな湖があった。森林にさえぎられていた月光が、青年の金髪に明光をあたえる。連れの青年がいるなら目を細めたことだろう。
透明になりかけた金髪をながして、クラウドは背筋を伸ばした。
屈伸運動をくりかえし、腕をふりまわす。
ひととおりの運動を終えると、すぅっと息を吐き出した。
鞘から剣を抜く。鈍い光が刀身をいろどった。
あたりは静寂につつまれる。時折り、蟲の音や鳥の鳴き声がした。
「…………」
無言のうちに、刃をふりあげる。おろす。
短く息を吐き、吸い、吐き。クラウドがそうするたびに、刃が上下へと揺れ動いた。常人には正視できぬほどの素早さでもって。災厄をふせぎ、メテオを阻止した大英雄の剣裁きは健在である。
――かに、見える。
青年は顔を歪めた。彼には、わずかな劣りが感じられた。
千回をこなしたところで、クラウドは手をとめた。
したたる汗を拭って、手のひらを見下ろす。
剣のタコもない。以前は、セフィロスを倒そうと躍起になっていたときは、両手にいくつものタコがあった。目を細める背後には、彼よりも一回り大きい影が立っていたのだが、クラウドは気づかなかった。
回想をほうり、鍛練にもどろうと意識を取り澄ませたところで、勘付いた。
「うわぁッ!」
「甘いな。まだまだだ」
「セ、セフィロス」
苦々しげに、青年をみやる。
彼はコートを羽織った、いつもの恰好で湖を背にしていた。
皮肉げに吊り上げられたくちびる。なにをいわれるか、予想がついて、クラウドはそっぽを向いた。
「この前のが、それほど悔しかったのか?」
数日前に、戯れで行った試合について言っているのだ。
無観客ではあったが、互いに、全身全霊をこめて剣をふるった。
かつて勝利した宿敵に、ふたたび腰をおることになるとは、正直、クラウドは考えていなかったのだ。
「以前の対決を例にあげていたようだが。あの時とて、実力は均衡していただろう?」
「そうかもな。でも、だからなんだっていうんだ」
「つれない返事だな。俺は慰めているつもりなんだが」
「なら、ほっておいてくれ」
くつくつとした笑い声。
クラウドは、拳をにぎった。
「見てろよ。笑えなくしてやる」
「それは楽しみだな。どうせならば、いま、笑えなくさせてくれるか?」
ぴたり、と、動きをとめてふり返る。セフィロスはシニカルな微笑みを貼りつけたまま、湖畔に視線を落としていた。地面に手を伸ばせば、その手には、長大な正宗が握られている。
別の剣にしたらどうだ、と、薦められてもセフィロスは正宗を手放さない。
愛着や使いやすさもあるのだろう。が、真実はかつての災厄だったことを忘れぬための戒めであることを、クラウドはかすかに感じ取っていた。
目を細めたクラウドは、セフィロスへ向き直った。
「いいぜ。やってやる。ここでか?」
「不服があるのか」
「ない」
ニヤリ、と、好戦的に口角を吊り上げるクラウド。
少年だった、出会った頃の彼はこんな笑い方はしなかった。
セフィロスは少しだけ遠い眼差しをして、それから、グイと目尻をつりあげた。
正宗の長身が、森の中で一閃のきらめきとなる。太く鈍い光は、クラウドが愛用するつるぎのものだ。横に凪いだそれは、正宗の一撃を受け止める。
二人は息をつまらせたまま斬り合いを続けた。
太い幹がふっ飛んでいく。風に吹かれ、根っこもなにもない枯れ枝のようにたやすく。
舞い上がっていく森林のカケラをみて、クラウドは湖の上へと走りこんだ。水面を分け入るブーツが激しい波目をつくる。セフィロスがあとにつづいた。水平に構えた正宗はふり向いたクラウドの視界に飛び込む。
反射的に剣を突き出し、柄に当たる根の部分で一撃を受け止めた。
鼻先が触れるほど近くに、互いの顔があった。
「目を離すと、すぐに成長していくな。お前の才能か?」
「冗談……」
ぎゅう、と、拳をにぎる。
セフィロスが笑った。クラウドの体に力がはいった瞬間を狙って、早口に何ごとかをささやく。
毒気を抜かれたような顔をして、すぐに、失敗を悟った。
クラウドの足元でパキパキとした涼やかな音色が聞こえてくる。セフィロスは、正宗を砂利のなかへと突きたて、クラウドの肩に足をついて、湖から体を持ち上げていた。
「こ、こんなの卑怯だ」
「実戦では勝利こそがすべてだ」
足元を氷結させられて、クラウドは、自分を踏み台にする男を睨みつけた。
涼やかで皮肉的な笑みが男を彩る。そうした笑い方が、じつにさまになっていた。
「騎士道精神を気取りたいなら、闘技場にでも連れて行くことだな」
「あんたなぁ!」
「さて。俺の勝利で遺憾ないな」
「やり方に遺憾があるぞ!」
「負け犬の遠吠え。という言葉を、知っているだろう?」
「だからって……。ああ、もう。クソ」
剣を取りこぼし、額をおさえる。
セフィロスは笑いながら、青年の腕をとった。
とられた本人が驚くような鮮やかでもって口元へと運ぶ。
ふにゃ、と、柔らかな質感を手の甲に感じた。
気が付けばクラウドは、銀の髪に包まれている。耳元を流れるサラリとした音色は、常ならばくすぐったくて、奇妙なむずがゆさまで思い起こさせてくれて、体を竦めさせてしまうシロモノだ。
「お、おい」
僅かに頬を高潮させて、身をよじる。
セフィロスの顔は、クラウドには見えない。
「貴様のとなりで、ようやく眠れるようになったと思ったら、たやすく姿を消す」
「なにを言ってるんだよ、セフィロス」
「俺を不眠症にしたいのか?」
真意を図りかねて、口をつぐむ。
依然として表情は見えない。金髪がつままれた。
「ちょこまかと動くな」頬に添えられる無骨な手のひら。
クラウドのそれも、決して男らしくないというわけではないのだが、しかし、線が弱いのは誰の目にも明らかだ。セフィロスと並んでは、クラウドは、全てにおいて小さく見えてしまう。
かつて、兵士として、ソルジャーとしてともに居たころと変わらずに。
冷たい唇に呼吸を奪われながら、奇妙な焦燥感にかられて身を竦ませた。
話された唇は、さむいのか、と、ひそやかに訊ねてくる。クラウドは首を振った.
「あんた、卑怯だよ。昔から」
「そうか? かつては、フェアな戦法を意識していたぞ」
「嘘っぽい。英雄さまは、勝利がなによりも好きなんだろ」
「なにより、か。見くびられたものだ」
皮肉げに唇をゆがめ、クラウドの髪を梳く。
そうしながら、小さくつぶやいた。
「ファイガ」
「うどゎあっ?!」
飛び上がり、すぐ、足が自由なことに気づく。
熱は瞬時に消えていた。クラウドは、湖のなかにブーツを沈ませて立っている。
向かいにセフィロス。涼しげな笑みを浮かべて、男は、踵を返した。
「もう寝るぞ」
「おい、セフィロス……」
「寝るぞ。お前もだ」
憮然とした眼差し。
クラウドは、目をパチパチと大きく瞬かせた。
この元英雄・元災厄の美丈夫がとてつもなく対人関係が不得意なのは知っている。
「もしかして」憚れたが、けっきょく、言った。
「ひとりで寝れないのか?」
「…………」
「なんだよ。素直にそういえばいいのに」
「……ちがう。が、貴様が寝床に戻るというなら否定はよそう」
「またまた。強がり言っちゃって」
「ちがうと言ってるだろ」
(わかってるよ。心配してくれてるんだろ)
口の中だけでささやいて、クラウドは、セフィロスと並んでチョコボたちのもとへと帰っていった。わずかに立った波は、湖のあちこらこちらへと反響し、やがて、消えていった。
end.
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