羽根をもぐ

 


「少しは、君の心に喰いこんでると考えちゃっていいのかな」
 耳たぶをはむような恰好で、唇が背後にくっついている。
 シンジは硬直したまま動かない。動けなかった。両手で抱きしめたカバンが、目に見えてカタカタ震えている。カヲルは、くすり。
 妖艶な微笑みを浮かべると、うなじと後ろ髪のすき間から、手のひらを差し入れた。
「本当に純粋だね。ねえ、こうやって、ピッタリとくっついたことはあるの?」
 反対側の手は腰に回されている。
 カヲルは、自分に押し付けるように、グイッとシンジを抱き寄せた。肩がおおげさに跳ね上がる。ますます口角をあげて、シンジの顎を撫でた。
「教えてよ。君にはなんでもないことでも、僕には、すごく気になることなんだ」
「か、かかかかかか、か、かをる、くんっっ」
「わからないかい……? 気になるもんなんだよ、すきな――」
「カヲル君ッ」
 顎を捉えた手が振り落とされて、腰の腕ももぎ剥がされる。
 銀髪の彼は涼しげな眼差しをシンジに注いだ。ゆっくりと、両腕を自分に引き寄せて、ポケットのなかへと突き入れる。シンジは、大きく、息継ぎをするように口を開けたり閉じたりした。
「な、なんのつもりだよ、一体」
「そうだねえ。シンジ君。僕はね、自分の欲求には忠実でありたいと願っているんだよ」
「は? カ、カヲル君……?」
「例えば、僕は夕日が好きだよ」
 歌うような声音で、窓辺へと視線をうつす。
 二人だけが残った教室は、斜めに差し込んだオレンジの光で埋め尽くされていた。まばゆい光を正面から見据えたために、カヲルの目が細くなる。シンジには、歓喜で細くなっているように見えた。
「いいね」顔をあげてシンジを見つめる。
「肌に宿る橙のひかり。幻想的で、はかなくて、……魅惑的で」
 再び腕が伸びる。シンジの手首を掴んだそれは、自分のほうへと緩慢に力を込めた。しばらくは立ち呆けていたシンジが、やがて、よろっとカヲルへとよろめく。
 抱きとめながら、カヲルは微笑んだ。
「つまり、そういうことさ」
「わ、わかんないよ。どういうことだよっ」
 我に返り、体を引き剥がしながら、シンジ。
「神秘の香りを秘めた橙に照らしだされたシンジ君が、どうしようもないほどに綺麗だったということさ」カヲルは、なんのことはないように言った。
 シンジは口を開けたまま固まっている。顔中が真っ赤だ。
 一分が経ったころに、カヲルがポツリと言った。
「ユーモア、というのは素晴らしいことだと思わないかい」
「えっ。あ。ああ?! か、カヲル君。僕をからかったんだね!」
「ハハハハっ。さぁ、どうだろうね?」
「もお、そーいうのはやめてっていつも言ってるだろ!」
 少年二人は、笑い声をひびかせながら教室を飛び出した。カヲルは胸でつぶやいた。
(こういうことで済ませてあげるのは、そんなに、多くないんだからね)
 ……少年が望むものは、まだ、手に入りそうもなかった。

 

end.

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