甘味的珍事
猫背の彼は、ぺたぺたと素足で資料室を横断した。
人差し指を歯列に押し当てて、徘徊としか形容のできな歩き方で行ったり来たりを繰り返す。その彼の後ろに、鎖でつながれた男性がいた。
「……………………」
半眼で彼の背中を睨みつけ、しかし、文句は言わずに付き従う。
彼はとある棚の前で足をとめた。
「月くん、脚立を」
「…………」
ふう。
軽くため息をついて、後ろに付き従っていた男性が言われたとおりにする。夜神月、キラ容疑のかかった第一の者として、Lからの監視を断われない身である。
「お前でもこういう地道な捜査するんだな」
「人手がなければやります。あれば、やらないです」
猫背のままで脚立を昇り、彼はポイポイとファイルを地上に向けて投げ捨てる。ファイルの表紙はスチール製だ。ギョッとして後退ろうとして、しかし、鎖に引き止められる。
「月くん。引っぱらないでください」
ピンと張りつめた鎖を一瞥してのコメント。
「あ、ああ……。投げるなよ、竜崎!」
悪びれなく脚立を降りて、彼は――Lと名乗る彼はファイルを回収した。ヨツバを調べるため、別捜査をすると言い出したのもLである。
「月くんはどこまで手伝いますか」
「どこまでって……。いいよ。何のファイルだ?」
「企業絡みの犯罪者をプロファイルしたものです。ヨツバにまつわる過去の事件に心臓麻痺がないかどうかを見てください」
パチン。ファイルの裏側に収録されているCD−ROMを月へと渡す。月は、まじまじとROMを見つめた。
「わかった……。人手になってやるよ。竜崎はどうするんだ?」
「私ですか」
「? どうするんだ」
「…………」
口を半開きにして、Lは俄かに体を前後に揺さぶった。
刮目した黒目に奇妙な迫力を感じて、月は警戒に両目を細める。わたしは……。再びうめいて、Lは頭上の蛍光灯を見上げた。
「買いだしに行こうかと思います…………」
「…………。ハッ? 何の?」
「……………………」
Lが、今度は完全に動きを止める。
彼にしては逡巡するような間だ。急かすように、月が口早に詰問した。
「言ってくれないか? みずくさいだろ。実質、二人で捜査するようなものなのに」
「…………在庫が切れました」
「だから、なんのだよ」
「糖分の」
Lは平坦な声音で告げる。
「この頃、やる気がなかったのでウッカリしていました……。ワタリは今、アメリカにいるのですぐに買ってくることができません……。しかし、私は今すぐケーキが欲しい……」
「……………………」
信じられないものを見る思いで、月は、Lの頭の先から足の爪先までを交互に見つめた。ようやく出た一言は、やたらと乾いていた。
「……本気か……?」
「嘘をついてどうします。私は買い出しに行ってきます」
「まてまてまてまて。ダメだろ、Lがそんなあっさり素顔を晒したら! 第三のキラが出現してるんだぞ世の中には!」
「はい、その通りです。リスクがあります。しかしケーキがありません」
「理屈になってないぞ、竜崎!」
Lは瞳に力を込めて月を見返した。カッと見開かせる。
「糖分がないと……頭の回転が120%ほど落ちます」
「……100%下回っちゃダメだろう」
「はい。だから、なんとしてでも欲しいのです」
「…………。砂糖でも齧ってろよ」
疲れた声で、月。Lは首をふった。
「ケーキに対する飢えはケーキでしか癒されないです。パンが食べたい民衆にクッキーを食べなさいと言っても納得されません。民衆はパンが食べたいからです」
「竜崎……」
信じられないという顔で月がうめく。
やや間をおいて、呟いた。
「本気なんだな……」
Lは手首を持ち上げた。
じゃららんっと鎖が金きり声をあげる。
「はい、本気です。月くんについては、四方八方を監視カメラで固めた上でファイルだけ閲覧できる姿勢で拘束します。これなら手錠を外しても安心です」
「ぶっ。何恐ろしいことを考えているんだ!」
さすがに月も身を乗りだした。
Lは気に入らないというように唇を尖らせる。見開かせた黒目が、じろじろと、怒り狂う月を見つめた。
「最善の策だと思うのですが……月くんの人権を無視さえすれば」
「そこは大事にしろ――ッッ!」
ばんばん! 怒りに耐え兼ねて、月が壁を握りこぶしで叩く。Lは冷ややかに告げた。
「捜査用のROMを傷つけかねない行動はやめてください」
「…………っ、クソ! わかった。僕が買いにいく。それでいいだろ? 竜崎!」
「…………月くんが?」
Lは目を丸くした。人差し指を唇に当てて、上目遣いでジッと月を見る。
数秒のあいだに結論がでたらしい。
「……月くんを一人で歩かせるわけにはいきません。他の方法となると、二人で、ということになりますが」
「〜〜、っ、それだ、一緒にいこう」
ROMを竜崎の手に戻し、月が半眼を返す。
「文句無いな? ないだろ? さっさと行って帰ってこよう。面倒だから父さんたちには黙って」
「監視カメラで聞こえていると思いますが……」
「…………。いってきます、父さん」
数秒の間をはさんで、壁に向かって挨拶をした。
面白そうにLは月の背中を眺めた。両手をポケットにいれるると、だらしない猫背で、足をぺたぺた言わせながら資料室を出た。
「…………」
二人は、そのまま特設本部すらもあとにした。
意外にも誰も止めに入らなかった。月は、半分くらいは誰かがLを止めに来てくれると思ったのだが。そのような気配は一切ない監視カメラで様子を見ていなかったか、Lと月の剣幕に押されてものがいえなかったかのどちらかだろう。検討をつけることで無理やり納得させつつ、月はうめいた。苦い声だ。
「手錠……」
「外せません」
街道を素足でのそのそ歩く若い男と、そいつに手錠で繋がれてついていく美男。
どんな光景に見えるのだろう。ひしひしした眼差しを四方から感じる。Lは迷うことなく人通りの多い道にはいる。ケーキ屋のウィンドウを覗いては素通りしていた。
「……この近く、僕は絶対にもう二度と歩かない……」
「……………………」
さらに十分ほど徘徊した。
たまりかねて、月が口を挟む。
「御眼鏡にかなう店はあったのか?」
商店街を二つほど横断した。
いや、横断ではなく、往復と言ったほうが正しい。
Lはごく最初の方で見つけた店のウィンドウを指差していた。鼻腔でため息をついて、店内に消えていくLにつづく。というより、鎖に引っ張られるので、月には抵抗のしようがない。
ぺたぺた、素足のままで小綺麗な店内を歩くLは異様だ。月は顰め面をしつつも後を追う。猫背をさらに丸くして、Lはショーケースを凝視した。
「お……。お客さま? いらっしゃいませ」
店員がショーウインドウの向こうから声をかけた。
ひくひくと頬を引き攣らせている。人差し指を咥えながら、Lは、ジトりとした上目遣いで店員を見返した。
「ここにあるものを全部ください」
「ハイッ?」
「……………………」
ふ。月が達観したようにため息を落とす。
三十分後、二人は並んでケーキ屋をあとにした。
「ありがとうございました――っっ!!」
厨房からケーキ職人まで出てきて、深々と頭を下げての見送り。Lは、一度だけ軽く手を振り返すと、台車へと揚々とした視線を向けた。月が仏頂面で台車の背を押している。
「うれしいです。やる気がでます」
「何で僕が、こんなことを……っっ」
「私は押しませんよ?」
「お〜ま〜え〜な〜っ。僕の手が塞がってなかったら殴ってるぞ」
台車にはケーキの箱が八つも詰まれていた。ごろごろと小さなタイヤが音をたてる。Lは、俄かな鼻歌をこぼしつつ(月にはとても上手いものとは聞こえない)背中を曲げた。いつもよりよく曲がっている。
しかし本部に戻ってくるころには頭を切り替えたらしかった。
月の後ろを歩きつつ、顎に親指を当てて眼差しを鋭くさせる。
「月くん、夜神さんを説得できませんか? やはり、私としてはしらばく第三のキラを泳がせていた方が」
「…………」
台車を押す手がとまる。
月のこめかみには青筋がたっていた。
「絶対反対。冗談きつい。むり。いやだ」
「そおですか……」
むっとしたようにLがうめく。
気付かないフリをして、月は再び台車を押した。もう、すでに本部の駐車場に入った。一般の人目にはつきようもない場所だ。
「……ったく。竜崎、お前は唐突なんだよ。捜査の話は、ケーキ食べたあと」
「……はい、そうですね……」
軽く親指を齧りつつ、L。
その時だった。
「あっ?!」
ガタンッ。と、台車が大きく揺れた。
タイヤが尖った石を弾いたのだ。台車が車輪だけで立って右に傾く。月は前につんのめり、そのまま、バランスを崩して転んだ。
「っ?!」
目の前に台車が振ってくる。
反射的に蹴り飛ばしたが、次に振ってきたのは箱の山だった。
べしゃ! 呆気にとられて、月は沈黙した。
視界が奇妙に塞がれて、甘ったるい香りが鼻腔を塞ぐ。ひとまず、顔面に落ちたものを五指で強引に拭い取った。生クリームがべっとりと指についた。
「うえっ……」
頭といわず腹といわず、全身にケーキを浴びている。
「ら、月くん…………?!」
Lが動きを固めていた。両目を大きく驚かせて、猫背のままで信じられないように月を見つめる。いや、正確には、コンクリートにぶちまけられたケーキやら潰れたケーキ箱を凝視している。
「りゅ、竜崎」
引き攣りつつ、月はケーキ塗れのままで上半身を起こした。
「す、すまない……」
「……………………」
がくり。Lが膝をついた。
「なんてことをするんですか月くん」
抑揚のない声音だ。瞳だけが怨めしげに月をジッとみる。
「ご、ごめんってば。竜崎! な? 悪かった!」
「捜査……。いやしかし……、ああ、160%減!」
「しっかりしろ、竜崎! 前より減少する比率が増えてるぞ?!」
上半身を起こし、どうにか焚きつけようと月が拳を握る。Lは呆然と月を見つめつつ、見つめつつ、見つめて、不意にハッとした。クマのついた黒目が丸くなる。
「いやしかし……、ケーキ……」
「竜崎?」
がし、と、月の肩が掴まれる。
立ち上がろうとする月に逆らうように、コンクリートに向けて押し込める。
「お。おいっ? 竜崎?! っ、――――?!」
月に馬乗りになったLが、瞳をぎらぎらと光らせる。彼は、腰をかがませて慎重に月を覗き込んだ。無造作に伸びた手のひらが、月の肩口で砕けていたケーキを鷲津噛む。
口に放り込みながら、Lの黒目はジッと月を見下ろした。
「……やはり私の目に狂いはない。私好みのイイ味です」
「なっ、な、ななな」
額にこびり付いていたケーキを指で拭った後で、Lはちゅぱっと自らの指を咥えた。数秒のうちに、手っ取り早い方法を思いついた。べろり、直接、舌を強く押し付けてくる。
「ぎゃっ……」
その生ぬるい感触が月を現実に引き戻した。
「ぎゃああああああああ!! 何をする――――ッッッ」
「元はといえば落とした月くんが悪いです。また探しにいくのも時間の無駄ですし、ここで食べきります。幸い、地面に落ちなかったのもあります」
「それは僕の体に落ちてきたヤツだろうがっ?!」
「そうです。運がよかった」
「よくない!!」
ぞぞぞぞぞっ。総毛立ちつつ、月が身を捩る。
上のLを振り落とそうと腰を振るが、Lは、対抗するように両足でがっしと月の腰にしがみ付いた。
「大人しくしてください、月くん。ケーキが落ちてしまいます」
真顔で言い放ちつつ、Lは自らの手首を戒める手錠を持ち上げる。
月が止めるヒマもなく、手錠の鎖を月の両手首に巻きつけた。結果、Lも片腕が動かせなくなったが、月は両腕を動かせない。悲哀の色すら混ぜて、月は戦慄の叫び声をあげた。
「竜崎! ふざけるのはやめるんだ」
「ふふふ。これで抵抗できません」
悪役のようなことを言いつつ、Lは我が物顔で月の鼻先を親指でなぞる。
生クリームが指にべっとりと絡みついた。ぱくり、と、指ごとくわえると、Lは歯を見せた。
「どうにかケーキ欠乏も収まりそうです」
「……くそっ……。お前な……、くそっ。よかったな!」
「しかし……。私がいうのも何ですが、こうしてみると、月くん変態的なプレイをされてるみたいですね」
「おまえがいうなっ!」
ぶるぶると羞恥に震えつつ、月。
胸元に散らばっていたケーキの塊を手掴みで食べ終えると、Lは再び月の顔面へと舌を伸ばした。べろべろと、躊躇もなくクリームを舐め取っていく。月の背中に冷や汗がにじむ。唇のすぐ傍、かなり際どいところまでLが舌を伸ばした。相手が頓着なしに、傍若無人に顔を舐めてくるだけに、動揺するのも敗北したようでどこか悔しい。
「く……。食い終れよ、はやく」
「はい、わかってます」
丹念に舐めとる舌の動きが、どうしても意識に昇る。
月の喉がわずかに隆起した。固唾を呑んでいた。全身が緊張している。
「ま、まだか?」
「まだです」
言いながら、ベトベトになった手で月の顔を向きを変える。
Lが満足したのは、結局、十分も後だった。
「何でこんな執拗に舐めとる理由があるんだよ……!」
「ごちそうさまです、月くん」
「ぼ……、僕に礼を言うな! 僕に!」
半泣きのように目元を赤くして、月が噛みつ。Lはケロリとしていた、月にほどこした拘束を手早くほどき、両手をポケットに突っ込むと猫背に戻る。
その態度はあまりに平時と変わらない。月が、目を据わらせてぶつぶつ呟いた。
「……なんてことだ……。僕のプライドが……」
全身をべとべとにして途方にくれていた。
しゃがみ込んだまま動けずにいる傍らで、Lは自らの下唇を舐める。
「…………。……ようやくいつもの思考ができるようになってきました。捜査再開しましょう、月くん。月くん?」
揺さぶられても、月は明確な返事をしない。月にしてみれば、ちょっとしたトラウマになりかねない出来事だった。Lは、困ったというように本部の入り口を振り返った。
「月くんがおかしいです。どうしましょう、夜神さん?」
「えっ」
見れば、夜神総一郎と松田桃太が、ポカンとした顔で月とLとを見つめていた。総一郎の足元には、帰宅用にまとめたらしいリュックサックが落ちている。
「ら、月くん……。竜崎……」
松田がぶるぶると震える。
「な、中じゃ監視の目があるからって外に……。そんな……、手錠なんかつけていつも一緒にいたからそんなことに? 二人とも、いつからだい?! キスまでしちゃって!」
ぶふっ。月が声もなく咽た。総一郎は魂が抜けたように真っ白になっている。
「わ……わたしは認めんぞぉ……」
「ちょ、っと、待ってくれ! 誤解だ!」
キスはしてないし、今のは竜崎がケーキを食べただけで……そのためにちょっと僕を押し倒しただけだ! と、叫ぶと、松田が悲鳴をあげた。
「竜崎ってば無理に月くんを?!」
「違います、合意の上です」
「ハァ?! 何いってんだ竜崎!」
Lは、鋭く月を振り返った。
「このままでは夜神さんが手錠生活に禁止令をだしそうです。それだけはいけません。私はキラとしての月くんを諦めていません――。この場を凌がないといけないです」
「…………?!!」
愕然としつつ、しかし、ハッとした。
「まさか、さっきのケーキにアルコールとか入ってたんじゃないだろうな……?!」
「見ての通りです、夜神さん。わかりましたか? ああ、捜査があるので、これ以上の話はしたくありませんが」
「……………………」
真っ白になった総一郎をじっと見つめて、Lは納得がいったというように頷いた。
「はい、私たちの仲についての許可もいただけました」
どこからどう、何を言えば……。無言になる月を引きずり、ぎゃあぎゃあと騒ぐ松田の横をすり抜けて、Lは自らの口に手を当てていた。
「最高で二日以内に……ヨツバ全社員のデータを……」
はやくも、捜査のことしか頭にないらしい。しゅいんっと自動扉が閉まる音が、カラスが鳴くような不吉な合図に聞こえた。気が遠のくのを感じつつ、月は、掠れた声で訴えた。
「とりあえず、シャワーを浴びさせてくれないか?」
「また夜神さんに誤解されますよ?」
こ、この男は。実は面白がっているだけなのだろうか。
胸中で毒づきつつ、月は首を振った。
「ケーキでベトベトだ。この姿でいると他の人たちにも変な詮索をされるし、何より気持ち悪い」
「そうですね。私もベトベトがひどいです。一緒にシャワー浴びますか」
「…………」
拒否をするだけの気力が月には残っていない。
頷きつつ、月は父親への言い訳を考え始めていた。その半眼はジッとLの猫背を見つめる。無性に蹴りたくなる背中だ――、実際、蹴ってみたところ、すぐさま蹴り返された。
end.
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