寝室にふたり

 

 
「……………………」
「……………………」
 深夜を回ろうとしていた。
 竜崎ごとL、キラ――の記憶を亡くした夜神月は、黙りこくってイスに座り込んでいた。竜崎はイスの上にしゃがんだような格好で、ツメを齧りながらワタリの送った映像を確認している。
「……………………」
 ちゃらり。月が身動ぎして、鎖が鳴る。
 竜崎と月とのあいだを結ぶ手錠だ。捜査協力のためでもあり、監視のためでもある。月は腕組みをしたまま仏頂面をしていた。
「……………………月くん」
 と、画面を注視していた竜崎の瞳がうごく。
 月を捉えると、瞳孔を見開かせた、いささか常軌を逸した眼差しのままで平坦な声をだす。
「寝ていいですよ。付き合って起きてる理由、ないです」
「…………竜崎は眠らないのか?」
「もちろん寝ます。ですがまだ起きてます」
「…………」
 月は顔をあげる。
 瞳はすでに据わって、うっすら、クマができていた。
 見詰め合う竜崎の両目は、クマどころではない。ヘタをしたらパンダのフェイスペイントである。両目の下に真っ黒くこさえられた竜崎のクマを睨みつつ、月は、耐えるよう呻き声をたてた。
「……これの存在、忘れてないか?」
 ちゃらり。左手首を竜崎に突きつける。
 彼は平然とした面持ちを崩さず、頷いた。
「はい。どうぞ、寝てください」
「…………ベッドには?」
「私は移動しません」
「…………」
 こめかみを抑え、月は質問を変えた。
「わかった。おまえ、いつもどうやって寝てるんだ? 僕もそれでやってみよう」
「…………。この一本を見終わったら、寝るつもりです」
「待つよ」
 なかば意地になりつつ、月が頷く。
 しかし彼は一時間後には後悔をした。照明を落とした室内で、竜崎はイスの上に座ったままだった。子供が自分の体を庇って丸くなったような格好だ。両目を閉じて、すうすうと、微かながらも規則正しい呼吸を繰り返している。月は口角をヒクヒクさせながら眠ろうと必死に両目を閉じていた。
 すでに浅い眠りには落ちた、が、腰の痛みですぐに覚醒する……。熟睡などできそうもない。ぼんやりとした頭で体の痛みに耐えるうち、朝になった。
 昼を過ぎないうちに、竜崎が文句を言った。
「今日の月くん、ぼうっとしてますね。しっかりしてください。画面、見えてますか?」
「……ああ、見えてる」
 眉間をキツくしわ寄せ、月がうめく。
 竜崎はいつもと変わらぬ様子で監視カメラの映像に向き合っていた。どこか、やる気がなさそうに数台を交互に見る。並んで見上げつつ、しかし、月は何度か居眠りをした。起きるタイミングはいつでも同じだ。
「月くん。うたたねですか?」
「…………ち、ちがう」
 ヨロヨロとしつつ熱いコーヒーを胃に落とす。
 他の捜査員がいるときは、まだマシだ。話相手になってもらえる。ところが今は竜崎一人。竜崎は、それほど饒舌なタイプでもなく――その上、迂闊な発言をしようものなら遠慮なく質問攻めにしてくる。眠気で茹だれた頭には、竜崎との頭脳戦を楽しむ余裕もなかった。
 そんな生活が一週間ほど続いた。
 また今日も、十時が過ぎる。
  月は、静かに、竜崎に向けて挙手をした。
 ショートケーキの相手をしていた竜崎が、フォークの先を月へと向けた。
「はい、なんですか。月くん」
「今日はベッドで眠らないか? 竜崎」
「……………………。そうですね。月くん、限界みたいですね」
 つぶやきつつ、ケーキをほうばる。
「では、一緒にベッドに行きましょうか」
「ああ…………」
 よろよろと立ち上がる月のあとに、だらしなく背中を丸めた竜崎がつづく。一人、残って犯罪者データを集めている松田が二人を振り返った。
「あれっ。今日は珍しく早くあがっちゃうんですね」
「はい。月くんがもう限界みたいなので。一緒に寝てきます」
「そっかぁ……。手錠、フベンですね」
 ガタンッ。竜崎が立ち止まっているあいだに、月が扉に頭をぶつけた。よろよろと、柱に縋り付く。
「…………」
 竜崎は月の上腕を掴んだ。
「ひとりでベッドまでいけませんか?」
「……いや、大丈夫だ。離してくれ」
「そうはいきません。月くんが転んだら私も巻き込まれます」
「……外しちゃってもいいんじゃ?」
 松田が背もたれに腕を乗せながら呟いた。
 しかし、月が首をふる。
「これは僕も了承していることだ。いくぞ、竜崎。ベッドに」
「はい、寝にいくとしましょう」
 何かを疑うように二人をジッと見て、松田が苦い声をだした。
「……なんか、月くんと竜崎がそういう会話してるの不思議だなぁ」
 竜崎が横目で振り返った。
 唇をとがらせ、咎めるような口調で告げる。
「寝るだけです。妙な含みをこめないでください」
「いや、その寝るっていうのが、こうね〜〜」
「竜崎……松田さん……」
 月が眉根を顰めてつぶやく。
「あ、ああっ。ごめん、月くん! おやすみ!」
「はい、おやすみなさい」
 無表情に呟く竜崎の横で、月は松田に会釈をした。
 エレベーターをあがった先に竜崎に宛がわれた寝室があった。使った形跡はほとんどない。室内に入ると、竜崎はすぐに手首を持ち上げた。手錠が揺れる。
「着替えますか? それなら、私の前でお願いします」
「ああ……。ん? 僕だけか? 竜崎は着替えないのか」
「この格好で構いません」
「……汚くないのか?」
「日本人が清潔すぎるんです」
「…………。そうか」
 月は竜崎に手錠のついた腕を差しだす。
 かちゃ、と、すぐに手錠は月の手首を離れた。
 備え付けられた白色のパジャマは洗剤の香りがかすかに残っていた。竜崎は、落ち着かない様子で窓辺をうろうろとする。それでも、眼差しだけはひたすらに月に注がれていた。かり、と、神経質に親指のツメをかじる。
「ところで、なんでダブルベッドなんだ?」
 上半身を晒したままで月が尋ねた。その胸板をじっと見つめていた竜崎の黒目は、素早く室内の中央に置かれた巨大なベッドを窺う。
 枕がふたつ並び、布団はひとつ。
「…………シングルでは行動がしにくいからです。私と月くんは今、手錠で繋がれている。ダブルの方が便利です。ワタリに用意させました」
「知らなかったよ……。用意周到だな」
 プチ、プチ、ボタンを留めつつ月が感想を述べる。
 うつらうつらとした彼の目を眺めつつ、竜崎が、のそのそした足取りで近寄った。手のひらが差し出される。月は、再び手首に手錠をつけた。
「…………しまった、つける前にトイレいけばよかった」
「いかなる状況であれ私の目が届くところ、です。ついでに私もトイレです」
 さらについでとばかりに、二人はそのあと台所に立ち寄った。
 ペットボトルのお茶を飲んだあとで、月が言う。
「よし、寝よう。……僕はもう本当に……ねむい」
「はい、わかりました。一緒に寝ましょう」
「ああ……」
 先にベッドにあがったのは竜崎だった。
 彼は普段から素足なので、ぺたぺたと、変わらぬ足取りで新品のダブルベッドを横断する。そうして、適当なところで掛け布団を掴んで持ち上げる。
「どうぞ、月くん」
「……………………」
 ベッドに両手をついて、月はスリッパを足だけで脱ぎ捨てた。
 ごそごそと布団に潜っていく。竜崎は黙り込んで見下ろしていた。物足りなさそうに、人差し指を自らの下唇に引っ掛けてグイグイと引っぱる。
 完全に横たわった月が、見咎めるように尖った声をだした。
「竜崎。無理やり付き合ってるのはわかるが、そんな化け物みたいな顔しないでくれよ。たまには、お前もちゃんと寝たほうがいいんじゃないか?」
「いえ、嫌々というわけではありませんが……」
 月が枕の上に顎を乗せる。竜崎は、枕を尻に敷いたままで下唇を摘んだ。ぐいーっと引き伸ばす。
「…………」
「じゃあ、なんだよ」
「いえ……。こういうのは馴れないもので」
「……僕もだよ。でも、竜崎がそんなだと、僕も余計に落ち着かないんだが……」
 月の茶色い瞳は、責めるように竜崎を見つめる。
 しぶしぶと、竜崎は布団の中に頭から突っ込んでいった。
「……おい、何を触ってるんだよ。僕の足だ、それは。そういう寝方されても僕は落ち着かないからな?」
 もぞもぞと、月の隣で布団がうごめく。方向転換をして、竜崎が顔をだした。
「月くんは注文が多いですね」
 ちゃらちゃらと鎖が音色をたてる。
 しばし、月は枕に頭を乗せたまま沈黙した。
 竜崎は頻繁に体の向きを変えたり布団の中で回転したりといった行動にでた。最後には月と同じ方向に頭をだしてくるので、月もついには放っておいて眠りの訪れを待った。
「……………………」
「……………………」
 竜崎が建設したこの建物は特別なものだ。
 防音がしっかりしていて、外からは物音ひとつしない。しばらくすると、竜崎がごそごそ動き回る音もしなくなった。完全な無音状態の中、そろり、と、月は口をあけた。
「…………竜崎、起きてるか?」
「はい。起きてます」
「そうか……」
「そういう月くんは眠れないんですね」
「ああ……。おかしいな」
 瞼は完全に閉じたが、意識はしっかりしている。
 あれだけ眠くて、思考すらおぼつかなかったのがウソのようだ。となりでゴロンとした気配がする。月が視線を向けると、竜崎が体育座りをしたまま横になった格好で月と向き合っていた。
 瞳孔が開いたような、体温のない黒目がある。
 異彩を放つ眼差しだった。爬虫類か何かが、ギョロリと眼球を動かすさまを想像すると手っ取り早い。ヒトっぽくない。
「緊張してるんですか?」
 真正面から月を見つめつつ、枕に頭を横たわらせながら竜崎が尋ねる。
「月くんらしくないですね。何を怖がるんですか」
「……怖がるなんて……。違うよ」
 月が寝返りをうつ。鎖がちゃらりと鳴った。
「別に枕が変わると寝れないってタイプじゃなかったはずなんだけどな……」
「…………」
 竜崎は親指を自らの歯列に押し当てる。
「もしかして、恥ずかしいんですか?」
「…………何でそうなるんだよ」
「いっしょに寝ることが」
 月が振り返れば、歯茎があった。
 竜崎が自分の唇をつまんで引き伸ばしている。赤味のある歯茎が、暗闇の中で異彩を放つ――、が、竜崎もといLの存在感は瞳に集約される。
 うかがうような、推し測るような眼差しが月を射抜いた。
「……………………。男同士ですよ」
「なっ……。当たり前じゃないか」
「そうです、当たり前です。恥かしがらないでください」
「僕は恥かしがってなんかいない」
 付き合ってられないとばかり、月が再び寝返りをうつ。間髪居れず、竜崎が釘を刺した。
「そうやって目を反らすことが何よりの証拠です。月くんらしくない。私の前にきちんと顔をだしてください」
「…………」
 のそり、月が三度寝返りをうつ。
 寝不足と怒りとで据わった眼差しがあった。
「これでいいだろ」
「はい、けっこうです」
 竜崎が無遠慮にじろじろと真正面から眺めてくる。
 月は、こめかみをヒクヒクとさせた。
「……これには何の意味が?」
「意味ですか」
 ニタ、と、意味ありげに竜崎が笑ってみせる。
「なんなんだよ。僕は眠いんだ。竜崎とじゃれるつもりはない」
「じゃれる……。こういうこと、じゃれるっていうんですか……」
「…………竜崎。お前のおかげで、意識が遠のいてきたよ。眠れそうだ」
「そうですか。よかったです」
「……………………」
 月はキツく眉根を皺寄せた。
 ねむろう。決心して、唇を引き結ぶ。
 しかし竜崎と向かい合って寝転がる今、ひしひしとした眼差しを感じずにはいられない。薄目を開けると、竜崎は飽きることもなく月を凝視しつづけていた。
「……勘弁しろよ……」
 ウンザリしてうめくと、竜崎は不可解そうな顔をした。親指の先を唇で咥える。
「勘弁ですか? 私は月くんを見ているだけです」
「それだよ、それ……」
「一緒のベッドにいるのに視線を合わせない方がおかしくないですか? 月くんの監視もありますから、私はずっと見ている気ですが」
「…………またミサに変態っていわれるぞ」
「……………………。その場合は、ただの嫉妬です。月くんとじっくり二人きりになれない彼女の」
 月は、諦めたように真正面から竜崎を見つめた。
 クシャクシャの黒髪は枕の上で散らばっている。竜崎と名乗るこの男、ベッドの中に納まっているだけで、どこか違和感を伴う。軽くため息をついて、月は目を伏せた。
「竜崎に付き合えるの、僕くらいだろうな……」
「私がベッドの中まで付き合うのも月くんぐらいでしょう」
「なんだかな……。この鎖、もっと長く出来ないのか?」
「できますが、しないです」
「…………。ああ、わかってるよ……」
 月は、鼻腔だけでため息をついた。
 竜崎がじっと月を見守る。
 と、同時に二人は唇を開いた。
「…………」「…………」
 視線が交差した末に竜崎がうめく。
「なんですか、月くん」
「いや。竜崎こそ」
「…………大したことではありません」
「そうか。僕もだ……、眠くなってきた」
「月くん、眠れそうですか」
「ああ……」
「それはよかった。月くんがあんまり寝不足だと、私のせいだということになりますからね」
「なんだよ……。僕を気遣ってるのか?」
「そうかもしれません。私が張り切りすぎたせいでしょうから」
「かもしれない、って……。まあ……竜崎がそうするのもムリはないよ。今はキラにつながるものが、ほとんど何もないからな。僕はキラじゃないけれど」
「最後に同意はしませんが、理解していただけると助かります」
「…………。竜崎もぐっすり眠れよ。お前から生気が消えるのも困る」
「困る? 月くんがですか?」
 竜崎が、いささか疑うように声を跳ねさせた。
「キラ逮捕には竜崎の力が必要不可欠……だからだ。まあ……いつもこんな寝不足じゃ僕はもっと困る……。お手柔らかに頼むよ……」
「…………そうですね。月くんを潰すワケにもいきませんし、心がけます……」
「……竜崎が言うと、うそっぽいんだよな……微妙に」
「酷いことを言ってくれますね。そんなことがいえる余裕がないくらい、明日から月くんを使い倒してあげますよ」
「……………………。覚悟しとくよ」
「はい、お願いします」
 月と竜崎は、互いに喋り終えると、じぃっと互いの目を見つめた。
 わずかに冷や汗をにじませるのは月である。しかし、竜崎も眉間にシワを寄せてものいいたげに人差し指を咥えている。
(……なんだか恋人同士の初夜みたいになってきたな……)
(これは…………。何故、夫婦のような言葉を…………夜神月と)
「…………まだ眠れなさそうですか?」
「あ。ああ、ああ……。ねむいねむい」
 竜崎に問われて、月はコクコクと頷いた。
 無理やりに欠伸をひねりだす。深く息を吐く。そうすると、本当に眠くなった気がして月は内心で喜んだ。このいささか異常な空気から抜け出さなければ。一刻もはやく。
「ふあ。……もう寝れそうだ。おやすみ、竜崎」
「はい、おやすみなさい」
 竜崎は、僅かに瞼を下げつつ、自らの膝頭をボリボリと掻いた。
 やがて月の体は規則的な呼吸を繰り返す。そこまで見届けて、竜崎は思い切り布団を自分に向けて引っ張った。月の足がはみ出したが、頓着することなく体を丸める。
 枕に顔面を押し付けつつ、眠りを待った。
 このいささか異常な空気から抜け出さなければ。一刻もはやく。


end.

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